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Freedom

SM
やっと年内の仕事が終わりました。
いやはや忙しかった。
年末を師走と言うのがよくわかります。
「師が走る」のですからネ。
そんな忙しい毎日だった訳で、彼女とも会えず寂しい日々でした。
もう、ほとんど放置プレイ。
そんな穴埋めではありませんが、久々に彼女とデートでありました。
映画を観て、食事して、ゲームセンターで遊んで、それからラブホへ。
流石に年末、お気に入りのラブホはいっぱいでしたが、僕は彼女と一緒なら何処だって幸せなのです。
「私をこんなカラダにして・・・」
不意に呟いた彼女が愛おしく、そして少しビックリしました。
出会った頃・・・と、言うより、実は再会だった訳です。
僕の記憶にある最初の彼女は小学校六年生でした。
そんな女の子が20歳になり、再会して、そして愛し合うようになって、もう四年になるのです。
再会した時の彼女は、世間一般の多くの女の子と同じくSMと言う愛のカタチに嫌悪感を持っていました。
そんな女の子が僕との時間を重ねて、今はMと言う性癖に目覚めてしまっている。
SM的に言えば、これは調教なのでしょうが、僕は調教したとは思っていません。
ただ、彼女が好きだっただけです。
僕が彼女をSMの世界に導いてしまったのが良いことなのか?否か?これはわかりません。
ただ、間違いなく彼女は綺麗になりました。
そして、少しだけ大人の女になったと思います。
僕、ぼぼ♂ぶたじる♪をSMの世界に導いてくれた女性は、実はもう、この世の人ではありません。
彼女は「自由」と言う事を、僕に教えてくれた人でもあります。
自由とは、何をしても自由、と言う訳ではありません。
何をしてはいけないか?それを考えるのが、本当の自由なのです。
愛は、自由と並んで尊ばれますが、SMはもっとも自由な愛のカタチだと、僕は信じています。
縛ったり、異性に意地悪な事をして快楽を求めるSMは、自由とは程遠いように思われるかもしれません。
これは実際にSMを体験した人でないとわからないと思います。
例えば、目隠ししてみてください。
目が見えなくなると聴覚が鋭くなります。
そして肌が敏感になります。
目が「不自由」になる事で、他の感覚が「自由」になるのです。
不自由になる事で、自由の尊さを知るのがSMの神髄なのです。
21世紀の現代、本当に便利な世の中になりました。
それこそ、僕達は自由である事のぬるま湯にドップリ浸っているのでしょう。
そんな中でチョッピリ不自由である事を感じ自由である事に感謝する、そんな生き方も必要なのかもしれません。
僕は、もっとも自由な愛であるSMが大好きです。
そして彼女も・・・・。
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