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霊感少女

志保20130614
関西のローカルTVサンテレビで、仮面ライダーフォーゼが再放送していました。
いやぁ~、嬉しかったですねぇ、また如月 弦太郎に会えるなんて。
最初の放送の時のを録画してDVDにダビングしてあるのですけどネ。
なんか再放送されていると、つい観てしまいます。
まぁ、朝の7時からの放送なので、夜間勤務明けでないとノンビリ鑑賞できないのが残念なのですが。
今更語るまでもありませんが、仮面ライダーフォーゼは平成仮面ライダーの傑作であります。
でも、個人的に気に入らない点も少なくありません。
そのひとつが野座間 友子 役の志保 さんでした。
志保 さん、モデルとしてのキャリアもあるし、女優としても、それなりに経験を積んでおられます。
なんと言っても志保 さんはプロポーションが素晴らしく、水着姿が栄える女性なのです。
ですが、仮面ライダーフォーゼでは「霊感少女」と言う役で彼女の可愛らしさが充分に発揮されていませんでした。
なぜか、仮面ライダーフォーゼでの「霊感少女」と言うのは不気味なのです。
僕は「霊感少女」って言うと、どこか謎めいた雰囲気の、ミステリアスな魅力を漂わせる美少女を連想しますネ。
それが仮面ライダーフォーゼでの「霊感少女」は「他人には見えないモノが見えるために第三者から煙たがられる」と言う役回りなようです。
野座間 友子も霊感の強い少女ですが、ちょっと美少女とは言い難い。
あ、いや、志保 さんは可愛いのだけどネ。
野座間 友子は強烈なパンダメイクのせいで、もう不気味でしかありません。
どうも、ぼぼ♂ぶたじる♪は、目元をバリバリと描き込んでしまうパンダメイクが苦手なのですヨ。
野座間 友子は、なぜかノーメイクの素顔を見られる事を極度に嫌います。
素顔を如月 弦太郎に見られ「可愛い!」と言われたにも関わらず家を飛び出してしまい、なんと側溝の泥でパンダメイクにしてしまうのです。
ああ・・・志保 さんには悪いけど、やっぱり不気味だ(笑)
しかし、まぁ・・・・、霊感少女なんて実在するのだろうか?
いえいえ少女に関わらず、霊感の強い人ってどうなんだろうねぇ?
やっぱり他人には見えないモノが見えるために第三者から煙たがられるのかな?
有名著名人にも霊感の強い人って居るようで、稲川 淳二 さん、桜 金造 さん、つまみ 枝豆 さん なんてお笑い芸人には、夏場は怪談話でガッツリ稼いでいますよネ。
心霊現象など、いわゆる「怖い話」の話芸で商売をしている芸人さん。
まぁ、それは芸なのだし、芸で稼ぐ事は決して悪い事ではないのだけど、僕にはこの人達が「霊感があるようにふるまっている」だけなように思えるのです。
逆に、幽霊が見えても何の得にもならないのにバラエティ番組で「霊感があります!」なんて発言する俳優さんも居る訳です。
俳優、女優さんなんて、仕事柄、幽霊が見えてもプラスになるどころか、変人扱いされ、本業に支障をきたす可能性があるのです。
的場 浩司 さん、釈 由美子 さん、渡辺 徹 さん なんて、幽霊が見えても何の得にもならない。
そう考えてみると、この人達は本当に「何か」が見えているのかもしれません。
もっとも見たものといえば「小さいおっさん」やら「妖精」やら、妙チクリンなモノが多いようですが・・・・。
どうも有名著名人の霊感が強い人って眉唾モノだよなぁ。
じゃぁ本物は?
そう自問自答した時、即座に顔が浮かんだのが美輪 明宏 さん でした。
いや、なんとなく「この人は本物!」って思えるだけなのだけどネ。
これこそ「霊感!」って事か?
さてさて・・・、仮面ライダーフォーゼ終了後の志保 さん は、かなり大胆な写真集を発表し「これが、あの野座間 友子 と同一人物なのか?」と思わせるぐらいイメージチェンジをしてきました。
やっぱり霊感少女より、ビキニ美女だよネ。

上手な恋の終わり方

20120708
自分の恋愛が危ういバランスの元で進行している訳で、そんな立場の男が他人様の恋愛をとやかく語るのもおかしな話なのですが、実はぼぼ♂ぶたじる♪、芸能人の恋愛ゴシップがけっこう好きだったりします。
で、今、注目しているのが高嶋政伸さんと、美元さんの離婚裁判。
事の成り行きがややこしいので、どうやって説明すれば良いのかわからないのだけど、いやはや、泥沼と言いますか、骨肉の争いと言うべきか、もう、とにかく醜い。
これからどうなるんでしょうねぇ。
いずれにしても高嶋政伸さんも、美元さんも、世間一般からの評判を落としてしまったのは確かです。
この離婚裁判、自分の立場だったら嫌だよねぇ。
離婚裁判なんて僕には経験はありませんが「恋の終わり」と言うのは誰でも一度は体験するモノです。
恋の終わりの理想的なカタチは「結婚」で、そして夫婦関係と恋愛が同時進行していく事でしょう。
しかし、妻と夫が、いつまでも恋愛感情を維持していられるケースは、極々希であると言わざるえません。
なぜなら、これだけ離婚が頻発しているのですからネ。
「恋愛と戦争は、始めるのは簡単だ、しかし、終わらせるのは難しい」と言います。
納得しますネ。
戦争なんて気軽に初めてもらっては困るのですが、確かに恋愛も、戦争も、最初は「勢い」だったりします。
特に、恋愛は爆発的な勢いで始まる事が少なくありません。
しかし、そんな強烈な感情から始まる恋ほど、結末は悲劇となっちゃいますネ。
まぁ、これは僕の経験なので正論とは言いかねますが、同調される人も多いのではないでしょうか。
とにかく、恋を終わらせると言うのは難しい。
実は、僕は自分から恋人に「サヨナラ」を言った事がありません。
別離は、必ず相手から、です。
「サヨナラ」を言われたら、やっぱり悲しいし、寂しいし、そして未練を引きずってしまうのですが、それでも、なるべく僕は「恋の終わり」を受け入れるようにしています。
これは、楽な作業ではありませんがネ。
場合によってはのたうち回りますヨ。
だから「理想的な恋の終わり」なんて言われても、僕には見当がつきません。
まぁ、それでも「楽な別離」を考える事はできる訳で、一番、楽チンなサヨナラは?と問われると「自然消滅」と答えます。
正直言えば、若い頃は「自然消滅」を狙った事がありますネ。
ただねぇ、恋愛を自然消滅させようとすると、残酷な場合がある訳です。
女の子って「待つ」からネ。
いつまでも、こっちの事を待っていたりする。
そ~すると、これは悲惨な結果になります。
自分の経験から言えば、これは悲惨だよ。
今だに、僕は、この時の痛みを引きずっていたりするのだから。
早い話「理想的な恋の終わり」なんて、存在しないのだろうネ。
そうやって考えると、高嶋政伸さんと、美元さんの離婚裁判って「存在しえない理想的な恋の終わり」を求めて、お互い血塗れになっているように見えるのです。
だから、これ以上、お互いの傷を広げないためにも、早急に解決した方が良いと思いますヨ。
もし、恋愛の終わりを考えている人が居たら、覚悟を決めた方がいい。
ボロボロに傷付く覚悟を決めて、憎まれる事を承知で、綺麗に別離るなんて思わずに「サヨナラ」を口にするしかありません。
「サヨナラをするのは、少しだけ死ぬこと」なのだから。
そして、そんな傷を抱えながら、人は強くなるのだから。

テクノロジーVSノスタルジー

20120616
雨のなにわの街を、なんの気もなしに歩いていました。
散歩と言う訳ではないのですが、気紛れに街を徘徊したくなるのです。
これは僕の放浪癖の現れなのかもしれません。
そんななにわの街角、なんとも懐かしくなる車を見つけました。
いすゞのピアッツァです。
色はシルバーグレイ
いやぁ~、嬉しかったですねぇ。
まだ、現役なようで、小汚いなにわの街を「よっこらしょ」とでも言いた気に走る姿は、なんとも懐かしかったです。
失礼ながら「どんな人が乗っているのだろう?」とドライバーを確認したくなりましたネ。
ピアッツァは1981年よりいすゞ自動車が発売していたクーペ・スタイルの乗用車です。
現代でこそ、SUVを除く乗用車の生産、販売をやめてしまったいすゞ自動車ですが、天才工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロとの関係が深く、このピアッツァもジウジアーロのデザインです。
ピアッツァの原型は1979年3月にジウジアーロがジュネーヴショーに出展したアッソ・デ・フィオーリAsso di fiori。
イタリア語で「クラブのエース」の意味を持つこの車はデザインカーであり、市販化を前提としてデザインされたショーカーだったのですが、いすゞ自動車の凄いトコロは、オリジナルのイメージをほぼ保ったままで量産化した事でした。
出展用のショーカーや、コンセプトモデルのデザインカーを市販化する際、内部機構とのすり合わせや生産性の考慮などの理由により、完成時までにはかなりのスタイル変更を余儀なくされ、それは工業技術が発達した現代においても同じです。
いすゞ自動車の偉業は世界中から驚きを持って受けとめられました。
個人的に、僕がピアッツァで気に入っているのはサテライト式コクピットでしたネ。
ピアッツァのインテリアもショーカーに極めて近く製品化されたモノです。
未来的なデジタルメーターに加えて、ステアリングから手を離さずにエアコンやハザードスイッチ操作など、大抵の操作が可能だったサテライト式コクピットは、非常に使い勝手の良いモノでした。
更にはピアッツァの室内にはさらにコンセプトモデルそのままの、異常とも言えるマニアックな拘りがありました。
エアコンの噴出し口が運転席側のフロントウインドー下の部分から12センチも上に競りあがって来る!。 
運転手足元の回転開閉するエアコン吹き出し口・助手席横にせり出すエアコン噴出し口。
オーナーすら気がつかないような小さなギミックも満載な、まぁ・・・・、ピアッツァは僕のような変人が大好きな車でしたネ。
いすゞ自動車入魂の名車ピアッツァでしたが、販売成績は芳しくありませんでした。
ピアッツァの失敗は、名車を作り続けてきたいすゞ自動車が乗用車の生産から撤退してしまう原因になったと言われています。
ピアッツァ不振の原因は諸説ありますが、僕はピアッツァのデザインは先鋭的過ぎたのではないか?と思います。
ピアッツァが生まれた1980年代は、無個性である事が美徳とされた風潮がありました。
この無個性である事に重きを置いて販売成績を伸ばしたのが、かのトヨタ自動車で、個性の少ないカローラは1980年代では、意識しないと気付かないけれど、意識して見るとキモチ悪くなるぐらい走っていましたネ(笑)
そんな風潮の中で、ピアッツァが販売成績を落としてしまったのは無理もないかもしれません。
現在でも、僕はピアッツァは世界で一番美しい車だと思います。
ひょっとしたら、個性的である事が注目されつつある21世紀の現代なら、ピアッツァは存在意義を見い出せるかもしれません。
そんな風に思うと「ノスタルジーを負かすほどのテクノロジーは存在しない」なぁ、なんて思うのです。
例えばネ。
携帯オーディオの先駆者であるソニー。
ですが現在、AppleのiPodに苦戦を強いられています。
そこで提案なんですが、思い切って'80年代のウォークマンを復刻させたら、意外に売れるのではないでしょうか?
ついでにヘアーと呼ばれた軽量ヘッドホンも復活。
iPodのテクノロジーに対して、ソニー・ウォークマンのノスタルジー。
なかなか面白い対決だと思うのですがネ。

主従関係

20120615
「昔は良かった」なんて、年寄りの台詞なのです。
だから、あんまり「昔は良かった」なんて言いたくはないのです。
でもねぇ、この21世紀の現代を眺めていると、本当に昔のほうが良い時代だったんじゃないかなぁ・・・と思えてくるのです。
一昔前、ほとんどの家庭には電話機は一台しかありませんでした。
そのため、子供への電話はまず親が出て、そして子供に取り次いでいましたネ。
電話機がリビングなんかに置いてあると、会話は丸々、他の家族に聞かれてしまう訳です。
もし、親御さんがそれなりに怖いお父さんだったりするお嬢さんを好きになってしまうと、なかなか大変でしたネ。
その昔、僕と交際していた恋人、今は人様の伴侶なのですが、当時は十円玉をたくさん持って、重たい財布を抱えて公衆電話に通っていたそうです。
まぁ、それでも当時は夜の七時になると、ほとんどのお店が閉店していましたから、夜に外出するのも言い訳を考えるだけで一苦労。
いやはや、なんとも喜劇を演じているような、不器用な恋愛でありましたねぇ。
昔は、現代ほど快適ではありませんでした。
ハッキリ言ってしまえば一昔前のモノは、不便な部分が多かったですネ。
しかし、人とモノがお互いに足りない部分を補っていました。
使いにくいモノを、人は不器用に使いこなし、その使いにくさに無意味とも思える愛着を感じていました。
つまりは、人とモノが共存していた時代を、僕は青春時代に送ったのです。
二十世紀の現代、人とモノの関係は、共存というよりも、むしろ「命令」と「服従」の、主従関係に近くなりつつあります。
考えられることをできて当たり前、できないものはダメ。
人間の、モノに対する要求があまりにも高飛車になってしまいましたネ。
快適さを提供するためモノがあまりに謙ってきた結果、人は創意工夫を忘れてしまいました。
モノを作る側は、より良くするために創意工夫を凝らしてはいても、提供される我々は快適になればなるほど、受け身に甘んじてしまっているのです。
オーディオ人気が衰退してしまったのは、機器の値段が高かったからでも、操作が面倒だと飽きられたからでもなく、デジタルオーディオの登場とともに、便利に、手軽になり過ぎたからではないでしょうか。
ひょっとしたら、現在青春時代を迎えている若者も、数十年後には「2000年頃のモノは良かったなぁ」なんて言うのかもしれませんネ。
そんな僕の知らない未来のモノは、もしかすると完全に人間の「奴隷」に成り下がっているのやもしれません。
なんとなくネ、そんな、人間の「奴隷」に成り下がってしまったモノに、僕は愛着を持てるだろうか?と、少し疑問を感じるのです。
「奴隷」は、M女だけで充分だよネ。

逃亡者

20120607
1994年(平成6年)6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街で発生した「松本サリン事件」
翌年の1995年(平成7年)3月20日に発生した地下鉄サリン事件。
この二つの事件で、猛毒ガス「サリン」の製造に着手したと見られる女性が逮捕されたNewsが話題になっています。
ちなみに、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の犯行時は殺人罪・殺人未遂罪の公訴時効は15年でしたが、2011年(平成23年)まで共犯者の公判が行われていたために刑事訴訟法254条2項の規定により時効は停止し、2010年(平成22年)4月に刑事訴訟法改正により殺人罪の公訴時効が廃止となり、公訴時効は停止・廃止となる形で捜査が継続しています。
これにより、容疑者に対する地下鉄サリン事件の殺人罪での訴追が無期限で可能となり、殺人未遂罪については共犯者の公判期間分延長となっているのです。
あの忌まわしい事件から、既に時効が話題になるほどの時間が経過して、やっと完全解決への道が見えてきた訳です。
事件の被害者の人達、それに遺族の人達は、この逮捕の報道を、どんな心境で見守っているのでしょうか?
もう、思い出したくもない出来事であるのは間違いないでしょう。
ですが、憤りは今でも収まらないはずです。
そう考えると、心が靄々っとしてきました。
特に、松本サリン事件は、警察のずさんな捜査や、一方的な取調べ、さらにそれら警察の発表を踏まえた偏見を含んだ報道により、まったく無実の人が公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件です。
この時、誤って犯人に扱われた人に対しての謝罪は、今をもって充分とは言えないモノなのです。
事件の被害者の人達、それに遺族の人達にとっては忘却の彼方に追いやりたい事実であっても、僕は決して忘れない。
しかし・・・十年以上も逃亡を続けていた犯人の心境って、どんなモノだったのでしょうねぇ?
経験が無いし、想像でしかありませんが、逃亡生活は楽ではないはずですヨ。
逃亡を続けるって事は、社会から離れて生きていく訳です。
戸籍制度のある日本で、これは非常に困難なはずですヨ。
逃亡中は、戸籍を使えば足取りを残す訳ですから、住民票が必要な健康保険の加入はできないし、銀行口座を開く事もできない。
ローンを組んで買い物もできないし、消費者金融にお金を借りる事だってできない。
だいたい就職するのも難しい。
常識的に考えて、逃亡を続けるのは単独では不可能だし、協力者の存在は不可欠。
協力者の負担は並大抵の事ではないだろうし、その心労が重なれば裏切りだって考えられる。
それを考えてみれば、逃亡者はますます不安が重なっていく。
逃亡生活は生き地獄。
逃げること、逃げ続けることって、実は、刑務所で罪を償うよりも、ずっとツラい事じゃないかな?
このブログを読んでいる人で、もし逃亡生活を続けている人が居るなら、自首する事を勧めます。
それが、きっと、あなたにとってもハッピーエンドなのだから・・・。
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