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2代目タイガーマスク、永遠なれ

三沢光晴
僕が三沢光晴さんの死を知ったのは日本テレビの「ザ・サンデーNEXT」での事でした。
人情家として知られる徳光和夫アナウンサー、流石に冷静ではいられなかったようで取り乱すシーンもありました。
「三沢選手は受け身の名人でした。それが受け身で亡くなった。無念だったと思います。悔しいけど冥福を祈らざるをえません」
かつてプロレス中継を担当したこともある徳光アナウンサー、悲しみをこらえ、約20分にわたって三沢選手の訃報を伝える姿は、痛々しくもありました。
いくら打たれても投げられても立ち上がってくるところから「ゾンビ三沢」「受け身の天才」「アンタッチャブル」と称され、満身創痍の状態でリングに上がりつづけていたことから「ガラスのエース」とも呼ばれていた三沢光晴さん、僕は本気で「この人は不死身なのだ」と信じていました。
三沢光晴さんの不死身振りを語るエピソードは少なくありません。
1995年三沢光晴さんは試合中左眼窩骨折を負っています。
普通の人なら即手術で全3か月という重傷です。
ところが所属団体だった全日本プロレスでは休業補償がつかないからという事情から試合に出続け、ついにはこの年のチャンピオン・カーニバルを制して初優勝してしまったのです。
そればかりか、2年後のチャンピオン・カーニバルでも試合中、右手薬指靭帯断裂、左膝蓋骨骨折の負傷を負いながらも優勝しているのです。
いくら常人では考えられないタフさを持つプロレスラーといえど、これは異例で、こんな不死身な人が死ぬなんて、僕には想像する事ができませんでした。
あまり触れられる事が無いようですが、三沢光晴さんはかつて全日本のTop3だった、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎の三人からピンフォールを奪った唯一人の日本人レスラーです。
ただジャイアント馬場さんに勝った時は「親子喧嘩に勝っただけって気がして、切なかった」と語っていました。
ジャイアント馬場さんは三沢光晴さんを養子にしたかったと言う逸話まであるぐらい、彼は多くの仲間に愛されたレスラーでした。
真面目な印象が強く、実際に非常に真面目な人なのですが、三沢光晴さんは一方でプロレス界一の下ネタ使いとしても知られています。
「俺おっぱい星人じゃないから」
「ぴこぴこぴーん」
「他団体のプロレスのビデオ見るくらいならアダルトビデオ見たほうがいいよ」なんて下ネタ発言は、残念ながら、もう聞けないのですネ。
「踊る!さんま御殿」でエロ社長の異名を持ち、飯島愛さんからは「爽やかな下ネタ」と評された三沢光晴さん、今頃は天国でエロトークに花を咲かせているのでしょうか。
三沢光晴さんはリングを死に場所としました。
こんな事を言うと失礼なのかもしれないけれど、2代目タイガーマスクらしい最後だったのかもしれません。
「プロレスはショーであり、八百長である」と否定する人達に、彼は最後のメッセージを残したのかもしれません。
2代目タイガーマスク、永遠なれ。

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